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J-ONE  Novel 小説    

 

テル侍いわきに居た最後の日本男児

 

① 2011年3月11日の庭 

 

 

その日の朝、生ぬるい春一番が吹いたという。

私の家族は、いつもと変わらない普段の生活をしていた。

大きく広がる青い空の下には白い梅の花、濃いピンク色の桃の花、地面からはヒヤシンスやチューリップの芽がほんのりと出始めていた。大きな屋敷を囲む垣根には、剪定された椿が青々と並び、北側の庭には母自慢の自家菜園がある。そこでは、老夫婦で食べるに十二分の野菜が毎年季節ごとに実をつけては食卓の主人公を競うのである。

 

 

 庭の広さは600坪。「ひと坪ってどの位?」と幼い私の問いに「畳二枚がひと坪よ」と教えてくれた母を私は「妖怪人間 花咲ババア」と呼ぶ。母は昔からまるで花の妖精に取り憑かれたかのように様々な草花を庭で、玄関で、廊下で、部屋で育てている。「お花はね、みんなそれぞれの違いを知っている。自分がいつ咲くか、自分が何の花なのか良く知っているんだよ。偉いね~」と、鼻歌を歌いながら朝から沢山の花々に水をやるのが日課だ。その為、我が家の玄関は、お花が主役。大きな間口は実に無意味で、結局ひとりずつしか出入りできない。この玄関を通る儀式を私は「三途の川」と呼ぶ。誰もが通る三途の川のお花畑というのは、これ以上に綺麗なんだと、私達家族は誰もが思っているだろう。

 

 

 この家の主人、私の父を紹介しよう。白い長袖の下着にラクダ色の腹巻きにねずみ色の作業ズボン。そして、足元には長い地下足袋を履き、腰には彼のウェポンである幾つもの道具がピッカピカに磨かれてあり、毎日大きなハサミを持って様々な植木を次から次へと剪定していく。言わば、植木の弾丸マンか植木の床屋。まさに父の職業はバカボンのパパと同じなのだ。

 

 

 ここ、日本のハワイー福島県いわき市は冬でも暖かい。福島県と言えば誰もが雪国を想像するかもしれないが、いわき市に飛んでくる頃には雪も根性なしになり「ふっかけ」というおカラの様な雪しか降らない。しかも、夏は涼しく冬は温暖。東京にも車を飛ばせば2時間以内でいける。2kmも東に行けば太平洋が見え、大きな青い青い海が飽きもせずに波打ちを何万年、何億年もしていた。

 

 

 ホーホケキョ~。

ウグイスが啼く昼過ぎ、青空が急に黒い雨雲で隠された。そして、冷たい風が吹く。庭には、ヨチヨチ歩きをする私の妹の三女、ヒヨリが遊んでいた。

 

 

 ガッタッガッタッガッタッ~!!!!

 グラっ グラっ グラグラ~~!!!!!

 

 

 午後 2時46分。突然の地震が東日本を襲った。

父も、ヒヨリも、母も立ちあがれない程の揺れだ。竹藪が急にざわめき、古い家に覆い被さろうとする。先祖代々の頑丈な旧家から、いきなり瓦が落ち始めた。地震の揺れは大きく、かなり長く続く。

 

 

 甲高い声を出し、妹が離れのピアノ教室から血相を変え、落ちる瓦の間をぬって駆けつけるが、娘と母の頭を抱える様にしてしゃがみ込むしかない。

突きあげられ、地面が裂ける音を目の前にもう言葉はない。向かいの山が崩れていくのが見える。

 

 

 隣の家も裏のアパートも全部同じように揺れ動く。一向に地震は止まろうとしない。いつまで続くのだろうか。妹も母とヒヨリを強く強く、互いに心臓の鼓動が聞こえるのではないかというくらいに抱き続けた。

「アハハ~。アハハ~!? ママ! バア~! ジイ~!?」

まだ、お遊びの途中としか思わないヒヨリは、ママとバアの顔を交代に見ては笑うのだ。

 

 

 その時、私の父は庭のど真ん中にある200kgはあるだろうという春日灯篭を押さえていた! 全身の力を込め、血管が浮き出る程に必死に。

 

 

 グラグラッ~グラグラッ~!!!

 ガラン!バッタン!バッターン!!!!

 

 

 支えきれず春日灯篭は倒れたが、押し潰されそうなところを危うく身をよじってかわした父は思った。(こんなごど~生まれで初めてのごどだ。俺ら、死ぬがもしんねえぞ)

 

 

 何があっても倒れた事のない春日灯篭が次々と崩れ落ち、我が家の瓦がバタバタと庭へ落ちて行くのを見たこの男が、この瞬間から立ち上がった。当たり前にこの家で生まれ育ち、この家を長男として守ってきたつもりの74年間は単なる序曲に違いない。今、大和魂という、何だか知らぬが身体中から湧き立ってきた不思議な力が、彼の拳を強く硬くさせる。(御先祖様が180年間守り抜いて来たこの家は、なんとしても俺が守らなければならない。例え地震が来ても何が来ても…)

 

 

 そして、父は足下をふらつかせながら、揺れ動く家の中へとひとり入って行くのである。「お父ちゃ~ん! どこ行くの~! やめて~! 行ったらダメ~! 危ないから~! 絶体にダメ~〜! ダメ~〜〜〜ッ!」

 まるで父と最後のお別れとなるが如く妹は泣き叫んだ。

 

 

 父の姿は、まるで江戸時代の火消しの心得か、敵討ちに行くお侍の姿の様だったと、遠くNYに居た私は後で聞いた。腰に研ぎ澄まされた剪定道具を抱えて植木職人をバリバリやっていた時の様に父の胸の鼓動が昂るのである。母も誰も止められない勇気の持ち主。私達、三姉妹を職人芸で育て上げた金の腕の持ち主。そして、この家、山野辺家の10代目の持ち主。山野辺テル吉。通称「テルちゃん」。

 

 日本最後の侍は西郷隆盛と歴史の授業で習ったが、本当のラスト侍が福島県いわき市に居たのだった。この男は、誰もが忘れかけている、人間に普通に備わった自然の感覚を身体中で感じて生きているのである。

 その時から、私は父を『テル侍』と呼ぶ様になった。

 

 

to be continue....

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*この物語は我が家族の100%リアルストーリーです。今後の『テル侍』にも乞うご期待。

 

 

 

 

 

 

尚、この小説『テル侍』は J-ONE[生命あるもの]という 雑誌に2012年より掲載されているものです。

 

 

 

J-ONE [生命あるもの] という雑誌は、福島の声を聴き、語り合い、その声を届け、寄り添い、3.11以降の生き方を模索する新雑誌です。その雑誌に『テル侍』は毎回掲載されておりますので、是非興味のある方は購読をお願いいたします。本当の福島の真実を知りたい方には是非おすすめの雑誌です。

 

http://www.j-one21.jp

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

   

 

 

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